功利的似非集団主義

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ここ数日で色々と事件がありましたね

そして沢山のツイートを目にしました

本当 現代はテレビを見なくてもSNSが完全にその役割を果たしてしまっていますね もはやどれが洗脳源なのかさえ見分けられません

その中で私が日々感じている国民性についてお話します

・・・事件が起きた時に正義を纏った言葉を並べるとして

だけど例えばこのnoteで圧倒的に閲覧数が多いのはどこかのバンドをdisる記事だったりするのですが

本当に見たいのは人間の裏側 であり影であり

だけども見せるのは正義の仮面

日本人は本当は集団主義なのではなくて個人主義

ただ利益を計算して(功利的に)集団に加担しているという意味での似非集団主義です

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自分に危害を与えられない限り
私にはどんな凶悪犯罪者も責められない

無差別殺人を犯したから と

被害者と何の繋がりもない人間が犯人をクソミソ言っているけれど世界でその罵倒をするのが自分1人だったとしても同じことを発言するのだろうか

99%の傍観者が犯人側の味方をしたとしてもその意見が変わらないというのなら言えばいい

それならそれはあなたの言葉だから 言えばいい

極めて功利的であって集団主義を装う国民性

そこに見えるエネルギーは損得勘定であるからTLが濁る

人間のゴミをジャッジしていれば自分をそれより上に持っていけるし

そこで”いいね”でも貰えば更に上に行けた気になれる

はたまた個人的に感じている怒りをその事件を利用して訴えることもできる

ここに例外というものはなく言ってしまえば選挙に行かない人々に対する怒りも根底にあるのは本当はそれではないんですけど

それを正当化する思想に巻き込まれて政治に関しては大変に発言しにくいのが現状です

政治案件にあれこれ言いにくいために凶悪事件はいいように使われているように思いますけれど

子供の頃の私にはこれ↑がありませんでした

正確にいうと 本来の自分とか 本当の自分とかいうものを許容してもらえる場所がなかったということなんですが

このままいい子を演じて生きているとどうなるか っていうと

・・

抑圧された自己が出口を探し

いつしか攻撃性に姿を変え体外に出ようとします

その攻撃性が内側に向けば自分を責めて鬱になったり自傷行為をしたりするし

外に向けば触るものみな傷つけたり傷害事件を起こしたり する

自制が効くうちはいいですけどそれができないほどの抑圧をした時に

何か大きなことをしないとその”本来の自己”を認めてもらえない と

エゴが勘違いするわけです

その「大きなこと」は 政治家になって世界を動かす とか

全員クビにできると部下の意見をねじ伏せることであったり

何でもいいから自分が世界を動かしていると実感できること それがエゴの満足

攻撃性が強い人が極限の状態になった時

それはやがて殺意に変わり 殺意は個人から世界まで拡大して

自殺や無差別殺人が起きる 

自分のやったことで世界が動いている 

そこでやっと自分が認められたような気になるのです

要は肥大化した自分の自分に対する怒り

誰でも持っているし 

「全員クビにできる」と言う人は「全員クビにできる」と言われてきた人でもあるわけで

加害者はいつでも被害者になれるし 被害者も一瞬で加害者になれる

それぞれの反対の面を見ているというだけのことですので

パワハラはする人とされる人がイコールであるということを忘れてはいけません

小学生の頃に将来の夢を書く作文がありましたよね

実際に書くことはしなかったけどタイトルに書きたかったことがありました 

それは”殺人鬼”

自分の母親に対する殺意が溢れて止まらなくて

だけどそれを書いたらどうなるか 計算して書かなかった

それから10年ほどして
当時14歳の少年が犯した神戸連続児童殺傷事件をニュースで見た時に

そうゆうことをする人間の気持ちが わからなくもない あの時にやればよかったと思ったのを覚えています

こんなこと書くと怖がられるかもしれませんが

一番怖いのは

そんなことを考えていた小学生の私は

学年で一番成績が良く友達も多い学級委員であったこと

そうゆう子供が家族殺しや殺傷事件を起こすのです

それがなぜなのか それがどれほどの孤独で
どれほどの苦しみなのか

私には手に取るようにわかるので

大人になった今でも 凶悪犯を責めることができません

そこまで追い詰められてしまった それだけのことで

誰にでも同じ可能性はある 

同じ状況下に置かれたと想定した時に同じことをしない自信があるのでしょう

ですが実際に置かれてみなければわからないと私は断言します

今回の事件であればそこのファンであったとか

過去に似たような被害に遭ったとか
被害者に家族や知り合いがいた とか

そうゆう人は犯人を恨まなきゃいけないし 気がすむまで罵倒しなきゃいけない

傍観者は
マスコミの嘘やくりぬき方に文句を言う割に

やっぱり何かを観て聞いて掴んだ情報は勝手に信じて 何か言うって

その情報はどこから発信されていて 何を根拠に信じているの

結局マスコミに踊らされているし

隣の人のRTを観て同調するって言うのも自分の意見じゃない

それは同調圧力というものです

テレビを見て何か感じて それをディスカッションする

昔は家庭という小さなコミュティー内だけで行われていたことが

現代では世界中に発信することができるから

見たくない意見も見てしまうんですよね

しかし目に入るということは 目に入れる必要があったということでもあります

各々の思想を語るのは構わないけど

よう知らん人物に対する罵倒や卑下は結局その発言者自身のことを言っていると思う

自分の中にないものは他人の中にも見ることができない

そのクズもゴミもサイコパスも凶悪犯も

あなたと同じ人間です

そして吉本と火災の事件に隠れていながら意外と派手に炎上していたDJ社長のやつ 笑

えらいくだらなく感じますが

DJ社長とジャスミンそれぞれのリプ欄を見てみると自己肯定感とは何なのかがわかると思います

企てたのは社長なのに若干20歳?のジャスミンの方がdisられている

これなんでかって言うと

「こんなことして良いのだろうか」と

少しても思いながら炎上に加担するとその時の自分の声が他者からのリプとして聞こえてくる それだけです

誰も彼女を責めてませんよね

彼女を責めてるのは彼女自身です

責めさせるような言動をわざわざしてしまうんですね

対してDJ社長の自己肯定感は傍観していても桁外れのように見受けられるので

何度でも潰されるけど何度でも成功する男だと思います

どんなクソでもゴミでも俺はオッケー

そう思えたら最強です

最強ですが日本人はそれを嫌います 笑

自分の首を絞めているのは自分しかいない

そして「道徳」と言う圧力を背負った功利的似非集団主義の効能です

「こんなことを書いて引かれないだろうか」 と

多少なりとも思いながら投稿したので

私もフォロー外されたりするかもしれません 笑 

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