感情が先 出来事が後



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仕事でヘトヘトのあなたが混んでいる電車の中で立っていて

目の前の席が空いたので座ろうとしたら

図々しそうな顔したおばはんがスッと横から入ってきてよっこらしょと腰かけた

 

 

イラッとしますね

迅速に動けなそうな体型してるくせにそうゆう時だけやたら軽やかでね

 

でも実はこの「イラッ」の感情と 図々しいおばはんは

無関係だったりします 無関係ってか 逆

 

人々は 感情も思考も自分のものだと思ってますよね

自分の中から沸いて出てくるもの 自分の一部

そう思っているから ”こんなこと思ったらあかん”とか

”ぐるぐるネガティブ思考に入ってしまう自分をなんとかしたい”とかって

自分責めみたいなことをしてしまうんですね

思考や感情に妙な責任を持ってしまうんです

 

でも

実は思考も感情も空気のようにそこら辺に浮遊しているもの

自分の波動と近しい周波数を発している思考や感情を

掴んで

自分のものとして味わっているんだそうです(量子力学的な本に書いてあると思う)

 

まずあなたがその波動域に居ます

そして「イラッ」の感情を掴み 自分の中に入れました

すると図々しそうな顔したおばはんがスッと入ってきて座りやがった

それを 見て あなたの中にある「イラッ」が発動します

といった感じで 実は「イラッ」が先にある

先に”持ってる”ってことです

 

 

ではどうして「イラッ」を掴んでしまうような波動域にいるのか

それは

あなたの中で「イラッ」が終わっていないからです

 

 

イラッ ぐらいならいいですけれど

例えば職場の上司からパワハラを受けてるとします

そしてその都度「なぜ自分ばかりこんな目に遭うんだろう」とか

「自分のダメなところを改善しよう」だとか

はたまたその上司への対処法を学んだりするんですが

 

これは”思考”を使った対応で

いくら表面上で円滑な対処法を取り入れたとしても

必ず後で同じことを繰り返す仕組みになっているんです

 

それに対して「何を感じているか」にフォーカスすると

「こんなこと言われて悲しい」

「立場上反論できずに悔しい」

「それを見られていることが恥ずかしい」

などなど

出てきますよね

 

これを一時的じゃなく 継続的に感じるのだとすれば

その「悲しい」「悔しい」「恥ずかしい」が 

あなたの中で終わっていないということです

 

感情って外に出さないと 消えて無くなるわけではなく

何度でも外に出ようとするんです

外に出るとは「その感情を許して感じ切る」ということ

 

 

学校教育は 人々の感覚を鈍らせるようにできています

ですから

親や先生に怒られて悲しかった という思いの下にある

子供時代に親や先生に理不尽なことを言われたけど 立場上言い返せなくて悔しかった  

こんな本音を 外に出さないまま 大人になってしまうケースが多く

そうすると中に詰め込まれた”感情”が

その後の人生で何度も外に出ようと試みるために

立場上言い返せなくて悔しかった  

と感じることができる経験をわざわざ繰り返して

感情を出させようとしているんです

 

 

上司があなたを虐めているわけでも

目の敵にしているわけでもないんです

あなたが あなたの溜めた感情を発散させるために

同じ感情を覚える出来事を掴みに行ってるということです

 

 

感情はため込みすぎるといつか爆発します

あらゆるトラブルは全て感情 本音のため込み過ぎと言えるほど

(子供の場合は胃腸のどちらかから出すことが多いため

下痢や嘔吐を繰り返す子供は

本音を吐き出していないということの現れでもあります)

 

何かを見たり言われたりした時に感じる「嫌な感情」

これを不快に感じる場合は

何を感じているのか 自分の中を見ることしか

対処法はありません

 

戦争はなくせないし 虐め自殺も 捨て猫も

外側からどうこうしようとしたってどうにもならない

それは 「」があれば 必ず「」が必要になるから

コインは片側だけでは存在できないって話です

 

なので それを見たり聞いたりしたときに湧き上がる思いは

一体何で

それを昔も感じたことがなかったか

自分を見る必要があります

他人や社会に影響を与えることはできても

他人も社会も変えることはできないのです

 

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